花とキャンドルのある暮らし

子供の頃に読んだ物語に、こんなお話がありました。

ある人が仕事の対価としてパンをふたつ手に入れました。その人は市場でパンのひとつを百合の花と交換しました。家に帰ってパンを食べ百合の花を眺めると、お腹も心も満たされてとても豊かな気持ちになりましたと。

私が生まれ育ったのは、山や田畑に囲まれて身近に植物があふれる場所です。就学を機に関西の街中で暮らし始めてからは、周りに当たり前のように生息していた季節の草花たちの代わりに、花屋で購入した一輪の花が暮らしに彩りを与えてくれるようになりました。

それから月日は流れたこの頃では、一輪挿しの花であったり、花器にいっぱいの花であったり、シンプルな緑の葉の枝物など、時には途切れながらも何かしらの植物と暮らしています。

そして、ある時、ひょんなことからキャンドルの魅力にとりつかれました。

キャンドルの魅力は生花のそれと似ていると思います。

植物が芽吹いて成長し蕾をつけて花開きやがて咲き終えて散りゆくように、キャンドルも火を灯し燃焼するにつれて、熱で蝋がとろけて形状が変化していきます。その形の変化を私たちキャンドル好きは「キャンドルを育てる」と呼んで、その灯りの明るさ温かさとともに育っていく様子を楽しむのです。

どちらも充分楽しんだ後は、なくなってしまうのも良いところです。住まいがすぐに物であふれてしまう私には、これも魅力のひとつです。

日常にキャンドルを灯すだけでなく自分でもキャンドルが作れることを知り、近頃では仕事の傍らリビングの片隅でキャンドル作りをしています。

慌ただしい日常の中、花とキャンドルと暮らす日々を、時々こちらで綴っていきたいと思います。

次回は花を使ったキャンドルのお話の予定です。

 

2021年11月 れじぇろ

 

れじぇろ

偶然参加したイベントでキャンドル作りに出会う。

興味を持つと深みにはまる性格が幸い(災い)し

キャンドル教室に通い資格を取得。

キャンドルの多様性と可能性に夢中。

自然をテーマに暮らしに寄り添う

キャンドルづくりをしています。

キャンドルの灯りの温かさと癒しを伝えたい。

カフェ巡りと植物が好き。

キャンドルの販売ページはこちら

 

 

2021年

 

2022年

 

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「晴れ晴れとした価値」




先日、美容室を経営している友人から、ある相談があった。


聞けば、「今度立ち上げる美容室のWEBサイトに月一でエッセイを書いてくれないか?」との話だった。
脱サラ後、音楽と言葉を生業にしようとしている僕には丁度いい刺激になると思い快諾。おまけに報酬は「1エッセイにつき1カット」ときた。
つまり毎月僕が文章を寄稿することで、毎月僕の身だしなみが保証されるという、何とも舞台人には有り難い交換条件だった。

本来、サービスを受ける側とサービスを提供する側には、お金のやりとりが発生し、その金額が価値を図る物差しになるが、友人からの提案は、お金というフィルターを通さずに欲しいモノと欲しいモノを直接交換する「価値のブツブツ交換」だった。


サービス市場において「受け渡し金額=金額に見合った価値」にならないことも多いと僕は感じるので、お金というアテにならない物差しに頼るより、自分の欲しいモノと人の欲しいモノの間にお金を挟まず、価値の会話を深める方がより良い交渉になるのでは?と。子供の頃あたり前のようにしていたこのブツブツ交換のスタイルが妙に腑に落ちてしまった。

もしも僕の言葉や音楽が、誰かにとっての価値になるなら、お金は勿論、その他の有形無形のモノと交換するのはすごく面白いし、何よりその交渉時間は”魂の会話”になっているのではないか?とも思う。


世の中の限りなくグレーな価値基準に振り回されるよりも、二人称で小さな価値観を見せあって、触れあって確かめたほうが、自分の望むモノが何なのかがはっきりする気がする。

世の中の価値には、お金や政治やメディア、数え切れないほど色んなフィルターがかかって”曇って”いる。

だけど少なくとも、常識を介さず対話する二人称の僕と君との価値交換は、きっと晴れ晴れとした空の下で行われているだろう。

2021年10月 田渕 徹

先日、美容室を経営している友人から、ある相談があった。

聞けば、「今度立ち上げる美容室のWEBサイトに月1でエッセイを書いてくれないか?」との話だった。
脱サラ後、音楽と言葉を生業にしようとしている僕には丁度いい刺激になると思い快諾。おまけに報酬は「1エッセイにつき1カット」ときた。
つまり毎月僕が文章を寄稿することで、毎月僕の身だしなみが保証されるという、何とも舞台人には有り難い交換条件だった。

本来、サービスを受ける側とサービスを提供する側には、お金のやりとりが発生し、その金額が価値を図る物差しになるが、友人からの提案は、お金というフィルターを通さずに欲しいモノと欲しいモノを直接交換する「価値のブツブツ交換」だった。


サービス市場において「受け渡し金額=金額に見合った価値」にならないことも多いと僕は感じるので、お金というアテにならない物差しに頼るより、自分の欲しいモノと人の欲しいモノの間にお金を挟まず、価値の会話を深める方がより良い交渉になるのでは?と。子供の頃あたり前のようにしていたこのブツブツ交換のスタイルが妙に腑に落ちてしまった。

もしも僕の言葉や音楽が、誰かにとっての価値になるなら、お金は勿論、その他の有形無形のモノと交換するのはすごく面白いし、何よりその交渉時間は”魂の会話”になっているのではないか?とも思う。


世の中の限りなくグレーな価値基準に振り回されるよりも、二人称で小さな価値観を見せあって、触れあって確かめたほうが、自分の望むモノが何なのかがはっきりする気がする。

世の中の価値には、お金や政治やメディア、数え切れないほど色んなフィルターがかかって「曇って」いる。

だけど少なくとも、常識を介さず対話する二人称の僕と君との価値交換は、きっと晴れ晴れとした空の下で行われているだろう。

2021年10月 田渕 徹





田渕 徹

音楽家、詩人、三児の父。

ソロ弾き語りとバンド

(グラサンズ)で全国活躍中。

自作曲、特に詩の世界に好評を

博し、近年では奇妙礼太郎への

音楽提供や映画

「愛しのアイリーン」主題歌の

音楽制作を担当。

その他、詩のワークショップ

「Word Watching」を主催する

など、音楽を軸とした多様な創作

活動に関わっている。



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「かおる かおり におい」



ぱっと置かれたその物に、

ぴんと良さを感じることもあるけれど、

だんだんじわーっと良さを感じることが

大切になってきている気がして、

心に入るスピードが早いと、出ていくスピードも

また早くなるような気がしているのです

だんだんじわーをどうしたら伝えることができるのか、

試行錯誤しながら考えていきたい

そんな実験的なお店です

今からお店に並ぶ品物に宿る雰囲気やストーリーを、

かおりや、においとして嗅ぎ取っていただければと思います

                               二〇二一年九月 yorozu imamura


ぱっと置かれたその物に、

ぴんと良さを感じることもあるけれど、

だんだんじわーっと良さを感じることが

大切になってきている気がして、

心に入るスピードが早いと、出ていくスピードも

また早くなるような気がしているのです

だんだんじわーをどうしたら伝えることができるのか、

試行錯誤しながら考えていきたい

そんな実験的なお店です

今からお店に並ぶ品物に宿る雰囲気やストーリーを、

かおりや、においとして嗅ぎ取っていただければと思います


                                二〇二一年九月 yorozu imamura

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